2011年7月27日水曜日

偽妖怪が支配する

霊というと彼岸のもののようで他人行儀、悪魔というと外人さん。でも、妖怪・もののけというと、八百万神に根差すためか、木々の間、または水の中、あるいは湯呑茶碗にも箸にも宿りながらも生きる次元を異にする、不可知の同居人の感じがあります。超自然現象って言葉があるけれども、そうではない、自然の在り方そのものが時折妖怪と名状されるという理解。

出来事だけじゃなく、ものの移ろい、死んでは他のものの一部となる輪廻転生も歴史です。そういう意味での歴史の中で土地が何等かの意思と力場を持つとし、それを日本では地霊、西洋ではローマ神話のヌシ概念から採ってゲニウス・ロキなんて呼んでいます。なんか超かっこいいんですが、今では単純に土地柄という意味で使うことが多いそうです。でも新合理主義の要素として残ったところを見ると、彼らは妖怪を失ったのではなく、普遍的なものとして受け容れているのだと思いたいのでそう思っときます。


なんかね、ついこの間まで県知事選挙に関わってたんだけど、他も巻き込んじゃ申し訳ないから実際に見た群馬県限定での話で、どうも群馬の都市計画におけるゲニウス・ロキは、エラいじいさん共とか政治家とか、そういうののしがらみのことを指してるんだなーとガッカリしました。そんなもん本来は上澄みの上澄みなのに、あたかも原則のようにそこにズーンと居座ってる。スタートラインが間違ってるから、何やってもイベント止まり。

よく「原点に立ち返って」と言います。立ち返るなら、妖怪に、自然に、地霊に立ち返らないと土地の文脈に沿わない上滑りなものになってしまう。そんな気がします。

関係ないようで関係ある、メジャーデビューから再度のインディーズまでキャリア20年超、孤高の文芸メタル、人間椅子です。


この「りんごの涙」は初期の曲。三味線ギターは進化して例えば「辻斬り小唄無宿編」で聞けます。



時に明らかに、時に言外に語られる青森が青森たる所以。ところで、群馬が群馬たる所以は何だろう?

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