怪物にもシンタックスがあった方が恐怖の対象として身近に感じられるように思う。唐突にかっこいい神話が関与して来たり、古代のオーバーテクノロジーが登場したりするのではなく、身近な恐怖、例えば公害の権化としての怪物が分り易くて好感が持てる。
クエイ兄弟にも引き継がれた、より身近で体感的な素材を用いて観る者に触れる手管。ヤン・シュヴァンクマイエルの夏、生肉の夏。
オチと結末の違いを説明するのに、こんな言い方どうだろう。『音楽でオチって言わないだろ?』
悟る秩序と、忘れる秩序。
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